漫画『聲の形』を読みました

漫画『聲の形』を読みました

2ちゃん見てたら『聲の形』が数ページ貼ってあって、続きが気になって気になってKindleで大人買いして今更ながら一気に読みました。
映画は観ていない。もうさすがにやってないのかな。DVDでたらすぐ観たい。

面白くて好きな漫画の一つになったけれど、終盤はあまり好きになれなかった。

多分物語が悪いのではなく、僕が主人公の石田くんに自己投影しすぎていたからだと思う。
石田くんのようなイジメはしていないしされたこともないけど、石田くんのように僕も自己嫌悪に悩まされる。
読む前に勝手に持っていたイメージとは大分違ってこんな攻撃的なページもあった。好きなページ。

聲の形石田、自己嫌悪

読んだ後ググって感想などを読んでいると、「いじめっ子といじめられていた子の恋愛なんてありえない」といった点で議論が起きていたり一部批判もされていたようであったけれど僕は全く気にならなかった。 いじめや障害者といった点よりも、過去と自己嫌悪の方に無意識に注目して読んでいたからだと思う。実際聲の形はどちらもテーマにしていると僕は感じた。

石田くんは過去にとらわれる。自分のした過去の行いを後悔して行動する。その結果過去いじめていた西宮さんと仲良くなれたり、友達もちゃんと出来ていく。
しかし石田くんはそれでも過去にとらわれる。とらわれすぎるあまり、過去を改変しようとし、友達の感情をコントロールしようとしたり過去の行いについて謝罪を要求したりする。でもそんなことはもちろんうまくいかず、せっかくできた友達と喧嘩したりしてしまう。

そこから僕は勝手に過去は過去でしかなくある程度割り切り今現在周りにいる人を大切にしたり、今の自分自身ともちゃんと向き合うことに石田くんが気づいてハッピーエンドに向かっていくのだろうなと思って読んでいた。
そういう描写が全くないわけでもないのだけど違っていた。そこから石田くんと西宮さんの事故が起こり主題は少し違うところに向かっていく。
そして最終回ラストシーン、石田くんと西宮さんは緊張しながら二人で過去自分たちをいじめていたクラスメートの待つ成人式の同窓会の扉を開ける。辛い過去と向き合うことは輝く未来への可能性という言葉とともに。


やっぱり僕はそこまでして過去と向き合うことは必要なのか疑問に思った。きっとこれからも石田くんは過去を改変しようとするし、現在の人間関係をないがしろにしてしまうんじゃないか、現在何かうまくいかないことがあった時に過去の自分のせいにしてしまうんじゃないか。そんなモヤモヤが残ってしまった。

植野さんという石田くんのことが好きな女の子を僕は魅力的だなと思ったけれど、それは植野さんは過去を気にしつつもある程度過去は過去だと割り切って人間関係を築こうとしているからだと思う。そして石田くんと付き合いたいという現在の自分の欲求に向けて正直に行動しているところがきっと好き。


僕は自分のことが嫌いで嫌いで仕方がない。たまに自分のことを助けようとしてくれたり自分に近づいてきてくれる方がいても、心が病んだ時にすぐ一人で閉じこもってしまう。信頼なんて自分のそんな対応で一瞬にして崩れてしまう。そんな時の自分がとても憎いし、心から土下座して謝りたいような方が何人もいる。

それでも自分の事を好きになりたいから、今は僕は自分で決めたアプリを作るということをちゃんと一つ一つこなそうとしている。少しずつ積み重ねて努力した時、自分の事が少しだけ好きになれるし、作ったアプリを楽しんでもらえた時生きていて良かったなと思う。
数少ない友達のことも大切にしようと思うし、新しく出会った人ともきちんと誠意もって仲良くしていきたい。
そう思っているけど、時折どうしようもなく過去のことを思い返して鬱になって自己嫌悪に襲われる。そしていつも苦しんでもがいてそこから逃げだす。
聲の形の終盤が好きになれないのはそんな自分の過去から逃げるなと石田くんに言われているような気がするからかもしれない。もう会えない方もいるけれど、出来るだけ土下座して回るべきなのかな。それも単なる自分のエゴな気がする。考えすぎて結局わからない。

そして植野さんはそんな僕のような奴のこともバッサリと斬ります。やっぱり魅力的な植野さん。

「私は私が嫌いですって?そんなありふれたこと自分だけのことのように言わないでくれる?」
とりあえずいい漫画でした。聲の形。

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)